2008年11月22日

天声人語「2つの美術館で『巨匠ピカソ展』開催」「空自トップ、論文書いて更迭」「ドナルド・キーンさんに文化勲章」「真偽の定まらぬ写真の分析」「あたたかい医療と言葉の力」



参照テキスト:朝日新聞

・2008年11月01日(土曜日)付
・2008年11月02日(日曜日)付
・2008年11月03日(月曜日)付
・2008年11月04日(火曜日)付
・2008年11月05日(水曜日)付



天声人語


・2つの美術館で『巨匠ピカソ展』開催・


◆上半身裸のピカソの写真を見て、太く長いその生涯を重ねたことがある。骨太の老体は多くの女性を愛し、平和を叫び通した。90過ぎまで絵筆を離さず、今なお熱い数万の作品を残した。
◆「私は自伝を書くように絵を描いている。私の絵は、完成されていようがいまいが、日記のページのようなものだ」。述懐の通り、自他の肖像やアトリエ風景は、一つ残らず人生の断面だろう。それらに再会するため、成田空港ではなく、六本木に向かう。
◆改修が進むパリの国立ピカソ美術館から230点を持ち込み、「巨匠ピカソ」展が国立新美術館とサントリー美術館で開かれている(12月14日まで)。分厚い日記を繰るように、作品は年代順に並んでいた。
◆「青の時代」を代表する20歳の《自画像》。以後70年をかけて弾ける(はじける)情念が暗い目と膨れたマントに潜む。《ドラ・マールの肖像》は肌が黄、髪は青、目は右が赤で、左は緑。50代半ばで知り合った若い女性写真家への好意は、陳腐な色では語れない。
◆73年に「日記」を閉じた時、画家は膨大な作品群を手元に残していた。相続税の代わりとして、フランス政府は「よりどりみどり」の権利を得る。こうして生まれた美術館の、珠玉がいま東京にある。
◆ピカソは、自身の創作遍歴を大河に重ねてもいる。「根こそぎにされた木々や、死んだ犬、あらゆる種類のゴミ、それらが放つ邪気のすべてを引き連れて、私は流れ続ける」。鑑賞後の疲れは、二つの会場を隔てる「徒歩5分」のせいではない。どうやら、深い河と邪気の仕業らしい。  (2008年11月01日)

・空自トップ、論文書いて更迭・


◆「珍しく」というべきか、時代小説の藤沢周平に政治がらみのキナ臭い問題に触れた随筆がある。先の戦争をめぐる教科書問題で騒然となったとき、<(蹂躙された『じゅうりんされた』)相手の立場に立ってみることを自虐的などというのは軽率な言い方である>と、その歴史観の一端を述べている。
◆そうした相手の立場はおろか、自らの立場も、日本政府の立場もおかまいなしの「突撃」には驚いた。航空自衛隊トップの田母神俊雄(たもがみとしお)・航空幕僚長が「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣(ぬれぎぬ)」と主張する論文を書いて更迭された。
◆その名前に記憶のない方も、思い出すことがあろう。4月に名古屋高裁が「空自のイラクでの活動は違憲」と判断したとき、記者会見で「そんなの関係ねえ」とやった人だ。周囲から「猛将」と評されているらしい。
◆あれは失言だったのかも知れない。だが今度は「思っていることを国民や国家のために書いた」そうだ。民間の懸賞に応募し、最優秀に選ばれて公表された。個人としての応募というが、肩書きは衣服と違う。都合よく脱いだり着たりできるはずもない。
◆内容はアジア諸国への侵略などを謝罪した政府見解を否定するものだ。この手の認識は国内では溜飲を下げる者がいても、国境まで行けば力を失う。その先へは広がらぬ独善にほかなるまい。
◆加害の意識を欠き、事実に目をつむる内向きの論理は危険なものになりかねない。冒頭の藤沢周平は、いつもの穏やかな筆致ながら、そう案じていた。不祥事続きの自衛隊である。後任は猛将より、知将が望ましい。  (2008年11月02日)

・ドナルド・キーンさんに文化勲章・


◆タイムズスクエアといえばニューヨークのど真ん中、隠れもない繁華街である。騒々しい街の安売りの本屋で、18歳のドナルド・キーンさんは源氏物語に出会った。日米開戦の前の年のことだ。
◆日本人の書いたものを買っていいのか、迷ったそうだ。だが、分厚い英訳本はめっぽう安かった。釣られて買うと、宝が詰まっていた。引き込まれるように読むうちに、日本への目が開いていく。そして戦後を、日本文学の研究一筋に歩んできた。
◆そのキーンさんに文化勲章が贈られる。86歳を迎えた今年は、折りしも源氏物語の千年紀にあたる。舞台の京都をこよなく愛した人でもある。功績を讃えるのに(たたえるのに)、これほどふさわしい年はない。
◆先駆者ゆえの幸運も、苦労もあったと聞く。外国人の研究者は珍しく、有名な作家にほとんど会えた。半面、いつまでも外国人扱いされた。30年ほど前の小欄は「いつになったら私の仕事を日本文学の紹介ではなく"研究"と言ってくれるのでしょう」という嘆きを載せている。
◆反省をこめてだが、日本の文物に取り組む西洋人に、我々は「青い目の」などと枕詞を(まくらことばを)つけがちだ。キーンさんは10年ほど前にも、「日本語で講演しているのに、名刺をくれる人は必ず裏のローマ字表記の方を示す」とやんわり意義を申し立てている。
◆大学時代に学んだ肝心なことは「読み、考え、なぜそれらが古典とされているかを自分で発見すること」だったと近著に書いた。励まされる思いで「あの源氏物語」に挑む決意をするのもいい、きょう文化の日である。  (2008年11月03日)

・真偽の定まらぬ写真の分析・


◆「ところでワトスン君」と名探偵シャーロック・ホームズならパイプをくゆらせるのだろうか。「この写真から何が分かるかね?」。些細な(ささいな)ことから真実を見通す、快刀乱麻を断つ推理に世界はあやかりたいところだ。
◆健康悪化が伝えられる北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記がまた「サッカーの試合を観戦した」らしい。公開された写真の真偽などをめぐって、韓国政府が分析を始めたそうだ。例によって撮影の日時は不明だが、周りの景色は秋が深い。
◆ホームズよろしく目をこらしてみたが、気づくことはない。ただ、病気にしては以前より恰幅が(かっぷくが)良いように思われる。近影だとしても人は本物か?韓国側も今のところ「事実の可能性がある」と見るにとどまる。健康悪化説以来、真偽の定まらぬ写真の公開は2度目になる。
◆諸国をめぐる巡行中に死んだ、秦の始皇帝の故事を思い出す。変乱をおそれた随行の高官たちは、さも皇帝が生きているかのように振る舞い、旅を続けたそうだ。
◆通過する町々では、ふだん通りに皇帝の車に食事が運ばれた。遺体から臭気が漂いだすと、大量の魚を車に積んでまぎらわしたと、司馬遷の『史記』は伝える。死を秘したのは、後継問題もからんでのことだった。
◆現代の「皇帝」はベールの向こうで、憶測の乱舞を楽しんででもいるのだろうか。いま一度写真を見れば、木々は末枯れて(うらがれて)、すでに晩秋を告げている。食糧も燃料もとぼしく飢えにおびえる民衆に、間もなく凍てつく(いてつく)ような冬が訪れる。独裁国家のこの過酷さは、憶測ではなく、現実である。  (2008年11月04日)

・あたたかい医療と言葉の力・


◆がん闘病を体験したエッセイスト岸本葉子さんによれば、医師の説明を聞くときはペンと紙が大切らしい。聞きながらメモをとっていく。難しい専門用語が分からないときは、ペンを持つ手がとまる。
◆止まることで、言葉が理解できていないと自分で分かる。医師も気づく。だから聞き直せるし、医師の方から丁寧にかみ砕いてくれることもあるそうだ。先ごろ東京であった「あたたかい医療と言葉の力」というシンポジウムでお聞きした。
◆患者と医師の会話は多くの場合、不安の中ではじまる。緊張もある。「白衣高血圧」と言って、白衣を見るだけで血圧の上がる人もいる。そのうえ弱る気持ちを抱えていれば、メモを心がけたにしても、難語の理解は楽ではない。
◆そうした言葉の壁を低くできないかと、平易に言い換える取り組みが進んでいる。国立国語研究所の委員会が、まず57語についてまとめた。「浸潤」は「がんがまわりに広がること」、「寛解」は「症状が落ち着いて安定した状態」など例が並ぶ。
◆カタカナ語も多い。それらを読んで、わが無知と誤解もずいぶん正された。そして「願わくば」と思った。分かりやすくなった言葉が、医師の心の温かみを乗せていてほしいものだ。
◆無くなった臨床心理学者の河合隼雄さんは「病に対する最大の処方は希望である」という言葉が好きだった。医療現場の多忙は知りつつ、胸にたたんでほしい至言と思う。温かみに裏打ちされたとき、医師の言葉は「わかりやすさ」を超えて、患者をささえる「力」となるのに違いない。  (2008年11月05日)
posted by えぷろん at 13:19| 東京 晴れ| Comment(0) | 朝日新聞 天声人語ほか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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